Female
鏡の前に立つ。
冷水のシャワーを浴びて、身を引き締める。
ふわふわとした毛足のバスタオルで水分をふき取って、裸体を晒す。
空調は適温に調整してある。
皮膚に出来物がないか。余分な贅肉がついてないか。
彼女の一日は、体のチェックから始まる。
今日は、大事な打ち合わせが入っているので、スーツはモスグリーンのものを。アクセサリーは控えめに。小粒の石のピアス。マニキュアは透明なものを。リップは淡いピンクを。長い髪を一つに結わえながら、クローゼットを開く。スーツを着る前に、香水を太股に、腰につけていく。こうするとほのかに香りが体に纏う。この付け方は、尊敬する恩師に教えてもらった。
打ち合わせは朝食を兼ねているので、すぐに身だしなみが整えられるようにポーチを忘れずに鞄の中へしまう。
準備万端。よし、と気合いを入れて、愛用のヒールに足を入れる。
カツンと踵を鳴らせば、小気味よい音が響いた。
「いってきます!」
晴れやかなに声を張り上げて、家を出る。
おなじみの線路を使い、先方から指定のあったホテルに到着する。腕時計を見れば、約束の時間より十分より早く着いている。ホテルには喫茶店がある。そこで、先方との打ち合わせということになっていた。
先に入って、コーヒーでも飲もう。用意した資料を、もう一度確認してもいいだろう。るんるんと鼻歌交じりに喫茶店へ入る。すると、日当たりのいい窓側の席に、打ち合わせの相手がいた。店員に会釈をして、席へと小走りに向かう。
「お待たせしてすみません」
頭を深く下げる。まだ、待ち合わせの時間ではなくても、仕事をもらったのは彼女のほうだ。相手を待たせてしまった。正直、早く来すぎだと思わないでもないが、礼儀は大事だ。社会人ともなれば、なおさら。
「あ、いや。早く来てしまったのは、私のほうですから。お気になさらず」
柔和な笑顔で首を横に振る相手を見返す。今回の依頼人は、初めての仕事だった。相手の実績などは資料データに載っていたので把握できていたが、人柄や考え方は全くわからない。不安は強くあった。しかし、この笑顔を見たとたんに、大丈夫だと確信する事ができた。
「あ、座ってください。すみません」
席を促した彼は、店員を呼ぶとアイスコーヒーを二つ注文した。
「僕が奢らせてください」
「・・・・・・はい。お言葉に甘えさせていただきます」
彼女は、独立して間もない建築士。彼女に、依頼を申し出た彼は、一流不動産の子会社の企画部長だった。彼女にとっての初めての大きな仕事になる。朝のチェックが入念になったのは、げん担ぎでもあった。
まだ打ち合わせの時間でもないため、アイスコーヒーを口にする。
初めての人間同士だと、どうしても顔色を探りがちになってしまう。どうしたものか。彼女は、窓を見上げた。今日は一日晴れ間が続くと、天気予報師が言っていた。とても青々しく、空が高いように見える。どこまでもどこまでも青色が広がっている。
「きれいな青ですよね」
「えっ。あ・・・・・・そうですよね。時々、空の青にすいこまれそうだって思います」
「青は透明感が強いですからね。僕も、そう思います」
にっこりと、また笑う。
すかさず彼の右手に視線を走らせた。
指輪、なし。よっしゃ。心の中でガッツポーズをしてしまった。
「どうしました?」
「いいえ。何でもありません」
友人の間でも結婚が決まったやら、妊娠したやらの報せが入る度に、あんたはどうなの? と世話を焼かれる。
結婚したいと思っているが、やはり仕事も捨てきれない。主夫になってくれるいうなら結婚したい。だが、それは難しいだろうし、男は仕事が大好きな生き物だし、意地をブランドにして生きている。理想論だ。そんなわけで、彼女は結婚を半ばあきらめている。なるようになるだ。
腕時計を見やれば、打ち合わせの時間まであと五分だった。まるでシンデレラの気分だ。
「あの」
「はい?」
「打ち合わせが終わったら、連絡先を聞いても?」
「え、連絡先なら名刺に」
彼は、彼女の心を溶かした笑顔を浮かべた。
「プライベートの方です」
彼女は目を見開いたが、すぐに微笑みを彼に見せる。
「喜んで」
彼女は胸のときめきと共に、士気の炎を灯した。
男は、仕事と意地をブランドにしている。
女は、仕事と恋愛をブランドにしている。